3/03/2009

落語


 年に4回、落語の公演のお手伝いをしている。

 子供の頃関西にいた時は、しょっちゅう落語のテレビ放送を見ていた。演芸場に行ったことはなかったが、テレビでは色々な時間帯に落語放送がされていたので、とても身近に感じた芸能のひとつだった。

花王名人劇場

 ひとりでコントをしたり、一人芝居をするというのは海外でも珍しいことではないが、ひとりが2役あるいは3役をこなす芸は珍しいのではないか。それも座布団に座ったままで場面転換まで表現することもあるのだから、ひとつの芸の極みともいえるのではないか。
 昨今では残念ながらテレビで落語中継を目にする機会が減ったように感じるが、演芸場では毎日のように落語の公演が行われている。仕事で関わっている公演ではやはり年配のお客さんが多いが中には若い人も。
 改めて落語をじっくりと見てみると演者の個性によって、同じ噺でも違った色合いを見せることに気がつく。声色、仕草、表情、体型、着物の色までもが混ざり合って落語となるのだ。名人と呼ばれる方々のCDもたくさん発売されているが、やはり耳で聞くだけではなく、目で見て空気を感じてこその落語といえる。

 また落語のネタにもいろいろな種類があって上方と江戸では噺も違う。子供の頃は落語といえば米朝や松鶴の上方落語に馴染んできたこともあり、江戸の威勢のよい、悪くいえばがなり立てるようなもの言いの落語はあまり好きではなかった。だがじっくり聴いてみると、特に古典落語になると江戸っ子の気っ風の良さや人情味の厚さ、粋な振る舞いが江戸の風俗と共ににじみ出ていてよいものだと思えるようになった。

 マァ大変な時代だけれど、こんな時代だからこそ江戸っ子の人情噺や粋ってモンを聴きに寄席へ行ってみるのもオツなもんじゃねえか。