3/08/2010

GOLD/WHITE/BLACK

浜川崎の旧日本鋼管体育館「Think Spot KAWASAKI」で開催されている椿昇展「GOLD/WHITE/BLACK」に行ってきた。2009年2月から3月にかけて京都国立近代美術館で開催されていたものだが、京浜工業地帯のド真ん中に場所を移しての展示である。


場所の雰囲気が作品に新たな印象を与える。



ロシアの大陸弾道ミサイルをモチーフにした作品は体育館の空間を一杯に使っており、圧巻だ。


3月14日まで。

9/24/2009

アーティストトークから

 黄金町バザール2009で開催されたアーティストトークからのメモ。

 黄金町バザールに出展中のドナ・オンの作品「Lost & Found」で、何者かによって作品に手を加えられたことがあったそうだ。
 ドナ・オン「街の成り立ちについては分かっていたことだが、見る人によってはセンシティブにさせてしまう作品だったかも知れない。」

 自分の作品に手を加えられることにどう思うか。
 ドナ・オン「以前に展示した作品でも、後から観覧者がもの(ねじや歯車など)を持ち込んで、作品がどんどん変わっていくことがあった。その変化が面白かった。」
 田添かおり「パフォーマーのいるインスタレーションで、その展示内に手を加えられたことがある。非常によいリアクションだったが、作品に手を加えられたことは許せなかった。」

 今回黄金町バザールで路上に投影するインスタレーションを行っているのは、志村信裕。
 志村信裕「僕の作品は映像なんだけれど、観るシチュエーションが大事。レンタルして見るとかいうものではなくて、実際に会場に行って観ないと『観た』とは言えない。」

5/17/2009

開国博Y150+


 4月28日から、横浜で「開国博Y150」というイベントが始まった。今年2009年、横浜は江戸時代の鎖国から開国へと政策転換がなされる中で開港地と指定されて150年を迎えた。

 横浜では開港以来、50年の節目毎に盛大なお祝いを行ってきた。開港50周年では横濱開港記念会館が建てられ、開港100周年ではマリンタワーが記念として建てられた。今回の開港150周年では、「開国博Y150」というイベントが繰り広げられる。詳細は公式ホームページを参照願いたいが、それにしても横浜のまちで「開国博」といっても何をやっているのかわからないという声をよく耳にする。会場がどこなのかもわからないということも耳にする。いずれの意見もその気になればいくらでも知る手だてはあるのだが、市内にいるときのそのような空気は大事ではないかと思う。知らなくても話を耳にするとか、横浜市民なら誰もが知っているというイベントでなければまちを挙げてのお祝いとは言えないんではないかと思うのである。

「開国博」が何をターゲットにしているのかもいまひとつわからない。スーパーハイビジョンシアターだったりアースバルーンなど、楽しみながら今はやりの環境やエコロジーを考えさせるアトラクションもあるが、それのどのあたりが開国なのだろう。横浜というまちが開港後150周年を迎えたということを今一度考えるということであれば、開港や文明開化のみにスポットを当てるのではなく、震災や空襲の爪痕、接収のまち、華やかな港町の繁栄などについてもっとフューチャーされるべきではないだろうか。「開国博」が観光を目論んでおり、都市型の博覧会だというのであれば、蜘蛛のハリボテをもってくるのではなくて、横浜の持つ魅力を引き出すような仕掛けにするべきだ。そして横浜に住むひとにとっては次の50年を考えるきっかけとなるものでなければならないはずである。

 

3/03/2009

落語


 年に4回、落語の公演のお手伝いをしている。

 子供の頃関西にいた時は、しょっちゅう落語のテレビ放送を見ていた。演芸場に行ったことはなかったが、テレビでは色々な時間帯に落語放送がされていたので、とても身近に感じた芸能のひとつだった。

花王名人劇場

 ひとりでコントをしたり、一人芝居をするというのは海外でも珍しいことではないが、ひとりが2役あるいは3役をこなす芸は珍しいのではないか。それも座布団に座ったままで場面転換まで表現することもあるのだから、ひとつの芸の極みともいえるのではないか。
 昨今では残念ながらテレビで落語中継を目にする機会が減ったように感じるが、演芸場では毎日のように落語の公演が行われている。仕事で関わっている公演ではやはり年配のお客さんが多いが中には若い人も。
 改めて落語をじっくりと見てみると演者の個性によって、同じ噺でも違った色合いを見せることに気がつく。声色、仕草、表情、体型、着物の色までもが混ざり合って落語となるのだ。名人と呼ばれる方々のCDもたくさん発売されているが、やはり耳で聞くだけではなく、目で見て空気を感じてこその落語といえる。

 また落語のネタにもいろいろな種類があって上方と江戸では噺も違う。子供の頃は落語といえば米朝や松鶴の上方落語に馴染んできたこともあり、江戸の威勢のよい、悪くいえばがなり立てるようなもの言いの落語はあまり好きではなかった。だがじっくり聴いてみると、特に古典落語になると江戸っ子の気っ風の良さや人情味の厚さ、粋な振る舞いが江戸の風俗と共ににじみ出ていてよいものだと思えるようになった。

 マァ大変な時代だけれど、こんな時代だからこそ江戸っ子の人情噺や粋ってモンを聴きに寄席へ行ってみるのもオツなもんじゃねえか。

1/08/2009

夜景のクオリティ




 「横浜の夜景をブランドに」──横浜では行政が主導しての、夜景を新たな観光資源として様々な企画や事業が進められている。
 
「夜の横浜」を世界ブランドに!ヨコハマ夜景サービス事業の“今”(ヨコハマ経済新聞)

「横濱ブリリアントウェイ」

 夜景というと、従来は見晴らしのよい場所から生活の灯火の広がる様子を見るというものだった。けれども昨今は建物や構造物をライトアップして名物夜景とする取り組みが増えてきた。
 ライトアップはその規模にもよるが、多額の費用を要する。鹿児島では桜島をライトアップしようという壮大な観光プロジェクトも考えられたが、費用対効果の面から見送られたこともある。

桜島ライトアップ困難 鹿県「費用対効果見込めず」

 夜景の費用対効果という場合の"効果"というのは観光誘致ということになるのだろうけれど、わざわざ夜景を見るために出かけるというのは、クリスマスイルミネーションだったり何かのイベントだったりという場合で、常時ライトアップされている建物を見たいがために出かけるというのはなかなかなさそうだ。
 それに他の全てのアート(的な)対象にクオリティというものがあるように、夜景・ライトアップにもクオリティはあるはずだ。ビジネス的な側面からは観光誘致ができればそれでよいということもあるかも知れないが、都市という公共性の高いシステムの中ではライトアップされることにもクオリティを求めたい。夜景プロデューサーという職業もありプロデューサーが誰かということでブランディングされることもあるようだが、プロデュースされた'作品'でこそ評価するべきであろう。夜景やライトアップが特別なものでなくなってきた現在だからこそ、夜景のクオリティについてもっと語られてもよいのではないだろうか?

12/22/2008

多摩美術大学 造形表現学部 映像演劇学科 卒業制作展 2008

 横浜市中区のZAIM別館にて開催中の多摩美術大学 造形表現学部 映像演劇学科 卒業制作展 2008を見に行ってきた。

多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科 卒業制作展2008

 特にお目当てがあった訳ではなかったのだが、写真の展示が多かったのでちょっと覗いてみようという気になったのだ。写真以外にも映像、パフォーマンス、インスタレーションなどいろいろな展示や表現がある。
 面白いと思ったのは405号室。「地球から10cm」と題された鰐部さんの世界旅行の軌跡とも言える写真展である。入口に立つとまず床に敷きつめられたイチョウの葉っぱに驚く。中に入るとイチョウの葉の匂いと旅の写真に包まれてしまう。


 鰐部さんは大学在学中に一年間休学して、中南米、東南アジア、インドなど世界各地を転々と旅を続けてきた。その旅の記録ともいえるのだが、多くの人との出会いのあった旅だったということが写真からわかった。大小ちりばめられた膨大な写真が旅の思い出の品々とともにトコロ構わずと行った具合で展示されているのだが、非常にくつろげる空間となっている。入口の壁面には旅の経過を示す世界地図が描かれていたり、地球の柄の巨大なビーズクッションが部屋の真ん中に置かれていたりと手づくり感とアットホームな雰囲気がある。非常につくり込まれたよい展示だった。

 鰐部さんは卒業後の進路はまだ未定だそうだが、そのバイタリティとパワーは何か次を期待させるものがあると思われた。

12/11/2008

フェルメール展

 東京都美術館で開催していた「フェルメール展」に行ってきた。

 なにがすごいって、まず人の多さに驚いた。会期末が近いとはいえ平日の昼間なのに入場制限で60分待ちだという。中に入ってもごったがえす人人人。。

 フェルメールの魅力は絵に込められた寓意を知らなければという人もいるが、絵そのものの放つ魅力だけでもすばらしい。同時代の他の画家の作品と比較するだけでも彼の卓越した才能を感じることができる。その絵は細密で光の使い方がうまく、配色が巧みでモダンである。
 オランダのロイヤルカラーであるオレンジは何度もフェルメールの絵の中に登場するが、その色は輝くような印象を受ける。色自体も輝度が高くて鮮やかなのだが、その色の周りに無彩色や地味でオレンジを浮き立たせるような配色がなされているためでもある。またその色の境界はシャープにコントラストをつけることによってより強調された印象を受ける。
 またグラフィカルな要素が取り入れられていてモダンな印象を受ける。白と黒の市松模様の床をフェルメールは絵の中で繰り返し使っており、奥行き感とモダンなイメージを醸し出している。今回の展覧会で特別出展された「手紙を書く婦人と召使い」では床の模様は白と黒の組み合わせだが変則的な模様となっていた。また画面奥に光が当たっているのが白いカーテンであるのに対して、手前で画面を遮るように垂れているのが黒いカーテンであった。この黒いカーテンが画面に変化を与え、控えめだがシャープな光がカーテンに当たっていることで、モダンなイメージを与える。
 フェルメールの絵画は三十数点しか残されていない。しかし、その三十数点にも彼の変化や進化を見ることができる。その才能や技術もさることながら、絵に向かう情熱と努力があったからこそ、あの作品が生まれたのだ。