12/22/2008

多摩美術大学 造形表現学部 映像演劇学科 卒業制作展 2008

 横浜市中区のZAIM別館にて開催中の多摩美術大学 造形表現学部 映像演劇学科 卒業制作展 2008を見に行ってきた。

多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科 卒業制作展2008

 特にお目当てがあった訳ではなかったのだが、写真の展示が多かったのでちょっと覗いてみようという気になったのだ。写真以外にも映像、パフォーマンス、インスタレーションなどいろいろな展示や表現がある。
 面白いと思ったのは405号室。「地球から10cm」と題された鰐部さんの世界旅行の軌跡とも言える写真展である。入口に立つとまず床に敷きつめられたイチョウの葉っぱに驚く。中に入るとイチョウの葉の匂いと旅の写真に包まれてしまう。


 鰐部さんは大学在学中に一年間休学して、中南米、東南アジア、インドなど世界各地を転々と旅を続けてきた。その旅の記録ともいえるのだが、多くの人との出会いのあった旅だったということが写真からわかった。大小ちりばめられた膨大な写真が旅の思い出の品々とともにトコロ構わずと行った具合で展示されているのだが、非常にくつろげる空間となっている。入口の壁面には旅の経過を示す世界地図が描かれていたり、地球の柄の巨大なビーズクッションが部屋の真ん中に置かれていたりと手づくり感とアットホームな雰囲気がある。非常につくり込まれたよい展示だった。

 鰐部さんは卒業後の進路はまだ未定だそうだが、そのバイタリティとパワーは何か次を期待させるものがあると思われた。

12/11/2008

フェルメール展

 東京都美術館で開催していた「フェルメール展」に行ってきた。

 なにがすごいって、まず人の多さに驚いた。会期末が近いとはいえ平日の昼間なのに入場制限で60分待ちだという。中に入ってもごったがえす人人人。。

 フェルメールの魅力は絵に込められた寓意を知らなければという人もいるが、絵そのものの放つ魅力だけでもすばらしい。同時代の他の画家の作品と比較するだけでも彼の卓越した才能を感じることができる。その絵は細密で光の使い方がうまく、配色が巧みでモダンである。
 オランダのロイヤルカラーであるオレンジは何度もフェルメールの絵の中に登場するが、その色は輝くような印象を受ける。色自体も輝度が高くて鮮やかなのだが、その色の周りに無彩色や地味でオレンジを浮き立たせるような配色がなされているためでもある。またその色の境界はシャープにコントラストをつけることによってより強調された印象を受ける。
 またグラフィカルな要素が取り入れられていてモダンな印象を受ける。白と黒の市松模様の床をフェルメールは絵の中で繰り返し使っており、奥行き感とモダンなイメージを醸し出している。今回の展覧会で特別出展された「手紙を書く婦人と召使い」では床の模様は白と黒の組み合わせだが変則的な模様となっていた。また画面奥に光が当たっているのが白いカーテンであるのに対して、手前で画面を遮るように垂れているのが黒いカーテンであった。この黒いカーテンが画面に変化を与え、控えめだがシャープな光がカーテンに当たっていることで、モダンなイメージを与える。
 フェルメールの絵画は三十数点しか残されていない。しかし、その三十数点にも彼の変化や進化を見ることができる。その才能や技術もさることながら、絵に向かう情熱と努力があったからこそ、あの作品が生まれたのだ。

12/08/2008

CAFE HIBINO NETWORK

 以前に自分と関わりのある日比野克彦氏のプロジェクトについて紹介したのだが、実はまだまだ他の日本各地で日比野氏のプロジェクトは進行している。

CAFE HIBINO NETWORK

プロジェクトの幅の広さと奥深さは日比野氏のバイタリティを表しているといえるが、それ以上にいろいろなプロジェクトでの人の繋がりの多さに驚かされる。
 アートというのは自己表現であって、外的な要因が作品制作に結びつくとしても制作の過程では自分の中で消化、解体、模索、検討、再構築という作業が行われるものだという認識があった。だからたとえ制作の途中で他者との関わりがあったとしても最終的には個人的な作品へ帰結するものではないかと考えてきた。
 だが日比野氏の活動を見ていると、常に作品の核としての日比野克彦がありながらも、必ずしも「日比野氏による作品」とは呼べないような共同作業の結果としての作品がある。むしろアート活動を通して人と繋がることに重点を置いているように感じられる。「アートってよくわからない」と感じていた人に「アートって楽しいんだ」と感じさせ、アートに親近感を抱くようになってもらうことがねらいと思われるのだ。

 ワークショップに参加すると実際はアートディレクターのプランに沿って行う‘作業’であったり他者との共同作業となり、自らのアート活動やアート体験と は捉えられないこともあるかもしれない。だがその経過で得られる刺激は自分の活動に回帰できるものが多くあると思われる。
 一般的に「アートを体験する」というと「作品」を観る、触れる、聴く、感じるといういわば受動的なこととして捉えられがちだ。だがワークショップに参加することで作品の制作に携わることこそが「アートを体験する」ことと捉えるならば、より体験者のイマジネーションが掻き立てられる経験となるはずである。個々の日々の活動の中にアートがあり、その中で生まれたものが作品となる。まさに日比野克彦氏のアートに対する姿勢であろう。

 またワークショップ形式とすることで、なかなか個人では取り組むことの難しいスケールの大きなアートイベントに取り組むこともできる。日比野氏は「みんなが考える『難しいけどできればいいなぁ』をみんなでできるようにしたい」と話すように、多くの人がもつベクトルを統合できれば大きなことができるというのはアートにおいても例外ではないのだろう。

 体験から得るものがあれば、自分の創作=アート活動に戻っていくこともあるだろう。日比野氏も「ひとりで(創作活動を)やっていると、大勢でやりたくなる。大勢でやると一人に戻りたくなる。」と話している。人と繋がること、人に伝えることにこそ、アートの原点があるのかもしれない。

11/04/2008

ディジタル化の荒波

 先日、仕事の現場を見学させてもらう機会があり、興味深い話を聞くことができたので書き留めておきたい。

 今や写真業界では、プロ・アマ問わずディジタルが主流となってきた。感材を使用した撮影はこだわりの世界になりつつある。映像の世界でもディジタルムービーが主流ではあるが、トップクオリティの世界では未だにフィルムを使用しての撮影もあるという。主に技術的な問題によるものだが、ハイスピードカメラを用いて高速の動体撮影をする場合などである。しかし今後ディジタルムービーのハイスピード化が進めば、ここでもディジタル化は免れない。
 またディジタルムービーは一方で、高精細になってきている。これによりムービーの中の1コマを抜き出すことで写真としても使用可能なクオリティの画像をえることができるようになってくるということである。撮影に際しては、ムービー、スチルと2回分の撮影の手間や経費が削減できる(機材の投資という重大な問題をのぞいては)ということから、クライアントには受けが良いと思われるとのことだった。
 この場合、当然カメラマンはムービーとスチルの両方をケアする必要があるのだが、それができうるのはスチルを経験してきたカメラマンだろうということだ。スチル画像としてのクオリティに達したものを撮影する技術は、スチルカメラマンでないとできないというのがその理由だった。対してムービーの撮影に関しては習得が容易であるということのようだ。

 時代の流れは速くて、環境に適応していくのも容易ではないのかも知れないが、その実失ってはならないものもある筈だ。環境が変容していく中で、独自性やクリエイティブな力を持った人の活動が失われていくとしたら、残念なことではないだろうか。それともクリエイティビティがあれば、環境が変わろうとも活躍し得るのだろうか。もし消え去っていくならば、それはそれだけのものであったということなのだろうか。
 時代とのマッチングが必要なのか。

10/31/2008

Tokyo Designer's Week 2008




 今年もやってきましたTOKYO DESIGNER'S WEEK。早速昨日見に行ってまいりました!

 神宮外苑の軟式野球場に巨大なテントと貨物用のコンテナーが建て込まれて会場となっています。海外からの出展も多く、入口すぐのテント 「BLICKFANG」にはドイツ、オーストリア、スイスのブースがあります。昨年もこのテントはありましたが、今年は出展者が少し減ったように感じまし た。
 タイヤの廃材を使ったバッグや1920年代を意識してデザインしたというフェルト製の帽子がかわいかったです。

 また一番大きなテントの「100%Design Tokyo」にはオランダやスコットランド、アイルランド、アイスランドなどのブース、それに韓国の若手デザイナーたちのブースが出ていました。
 特に韓国は、ソウル市が2010年の世界デザイン首都として選定されたこともあり、パワーを感じさせる出展でした。ZEROPERZEROという韓国人のユニットはソウルやニューヨーク、東京などの地下鉄路線図をリデザインして、スマートな地図を販売していました。
 昨年もオランダのブースは楽しかったのですが、今年も、風速100mでも差せる傘やポップなデザインのPCバッグなど欲しくなるものがたくさんありました。

 日本のメーカーやデザイナーももちろんたくさんのブースを出しています。HOYA CRYSTALがブース内に英国風の庭園をつくってHOYAの製品を展示しているところや、建築現場の廃材を素材にしているデザイナーの展示などに興味を惹かれました。
 また今回は学生のブースもテント内につくられていて、屋外展示だった昨年よりも見やすくなっています。こちらでも韓国の学生によるブースもあり、見応えのあるものでした。
 
 その他にもいろいろなブースやフォーラムなども開催されます。
詳細は公式HPでどうぞ!

http://www.design-channel.jp/tdw/

9/09/2008

ダンボールな日々


 来年、開港150周年を迎える横浜では日比野克彦氏をアートプロデューサーに迎えて2つの市民参加によるプロジェクトが進行している。

 ひとつは9月13日から赤レンガ倉庫等で開催される横浜トリエンナーレ2008の関連企画で、ダンボールで海に浮かぶ船をつくるワークショップ。山下公園の隣、山下埠頭を会場として日比野氏自らデザインされた船を一般参加のボランティアによって制作する。会場には昨年石川県金沢市にて制作された2艘の船も展示され、見学も自由にできる。日比野氏自らワークショップに参加されることもあり、生の声を聞いたり作品の制作に一緒に携わることで普段できないアート体験ができる筈だ。11月末までの毎週土・日と祝日の朝9時から17時オープンしている。

 もうひとつのプロジェクトは来年の開港150周年に向けて日比野氏監修のもと、150艘のダンボールの船をつくるワークショップだ。横浜市内の中学校や地区センター等を会場として、一般の参加者がデザインし、ダンボール等の素材から船を制作する。このワークショップは2007年から始まっており、既に80艘以上の船が完成している。いずれも独創的な形だ。今後も横浜市内をワークショップが巡回することになっている。

興味のある方は是非参加してみては。

THE SEEDS TRIP 「種は船」造船プロジェクト

横浜FUNEプロジェクト

7/12/2008

"daisy holiday"

最近めっきりレコードやCDを買わなくなってしまったのだが、久しぶりにCDを買ってしまった。
"daisy holiday"は細野晴臣がプロデュースするレーベル"デイジーワールド"のコンピレーションアルバムだ。レコード会社をエイベックスからコロンビアに移して、レーベルとしては4年ぶりの、デイジーワールドのリスタートとなるアルバムということである。
inter FM(東京76.1MHz、横浜76.5MHz)で日曜深夜に放送されているラジオ番組"daisy holiday"を凝縮したような構成になっていて、選曲もオリジナルあり、古いアメリカンポップスあり、コントありとバラエティに富んでいる。参加アー ティストも細野晴臣をはじめとするデイジーのメンバーに加えキセルやTOWA TEIなど豪華な顔ぶれである。
実は、こんなアルバムが前々からほしいと思っていた。古くは大滝詠一のナイアガラシリーズ、YMOのスネークマンショー、山下達郎のCome Alongシリーズなど、ラジオを聞いている感覚で楽しめるアルバムが好きなのである。
さて本作の内容だが、細野氏の好きな古い(20世紀前半の)アメリカの音楽へのトリビュートを感じさせる。アルバム全体の構成もどこかThe Three Sunsのアルバムを思い出させるものがある。また、曲の間にコントが入っているところなどはスネークマンショーを想起させる。
以前にもデイジーレーベルで何枚かのコンピレーションアルバムが発売されたが、今回のアルバムは以前のものに比べて完成度が高くなっているという印象を受けた。デイジーレーベルリスタートの第1弾ということなのでこれからの活動に期待したい。
最後に追記するのだが、ジャケットのかわいさも特筆ものです。

"daisy holiday" presented by haruomi hosono
 
http://daisyworld.sblo.jp/article/14132004.html

6/18/2008

TVが3Dになる日?

3DTVの開発が進んでいる。
ヒュンダイからは3Dメガネを使用するタイプの3DTVが既に市販されており、フィリップスではメガネを必要としない3DTVの開発発表が既になされている。

HYUNDAI IT製3D映像対応46V型フルハイビジョン液晶テレビ

特製メガネは不要--フィリップス、3DTVを2008年にも発表へ

またBS11が3D放送を2007年12月から開始している。

BS11:3D立体革命

3D映像自体は目新しいものではない。古くは1950年代から、右目と左目でレンズの色が違うメガネを掛けて鑑賞する立体映画が制作された。ではなぜ今、再び3Dなのだろうか。
現在が過去の立体映画の時代と最も異なるのは、映像を取り巻く技術の進歩である。特に家庭用TVにおいては映像の高解像化、ディジタル化などが3D映像を身近なものにしてくれる技術となりうるだろう。またインターネットによる映像配信の普及などは、TV放送の3Dへの移行を促進することになるかもしれない。

6月17日に横浜情報文化センターで「TVが3Dになる日」と題するシンポジウムが開催され、主として3D映像研究開発や3D放送への取り組みについての講演や討論がなされた。特に前出のBS11の長澤幸一郎氏からは3DTVへの取り組みが熱く語られた。
では「TVが3Dになる日」は近いのだろうか?
確かに技術の進歩によって手軽で安価にしかも見やすい3D映像を提供することは可能だろう。しかし3DTVが何を見せてくれるのかということは明確になっていない。コンテンツあってのメディアであるのに、コンテンツの制作についての議論がこのシンポジウムであまりなかったのは残念であった。
IT技術の国際競争力をつけるという政策が掲げられ3DTV技術の推進もその中に組み込まれている。そういった意味では技術開発先行とならざるを得ない部分もあるが、その技術の活用やクリエイターの育成までのビジョンがなければ技術先行で始まった3DTV技術はやがて古びていくこととなるだろう。クリエイターがいて、そのアウトプットとしての魅力的なコンテンツがあり、多くのユーザーを生み出すことでさらに新たなコンテンツや技術が求められるというサイクルがなければ、技術力はやがて没落していかざるを得ないのではないだろうか。
その意味ではクリエイターにもっと技術の公開がされるべきだろうし、新しい技術を積極的に活用しようとするクリエイターのサポートも必要だろう。
魅力的なコンテンツが3Dとなって発信されることで、TVが3Dへと向かい始めるのである。

5/19/2008

プロヴォークの時代



東京都写真美術館で5月13日から6月29日まで開催している「森山大道展」に行ってきた。
森山大道とは「アレ、ブレ、ボケ」で代名される路上写真家である。最近では荒木経惟と対比されることも多い。
森山大道の作品を見るのは久しぶりのことだ。思えば雑誌や写真集で見たことはあっても、写真展という形でプリントを見るのは初めての体験であった。しかるに、その作品の持つインパクトには圧倒された。作品として成立するには、それが写真である場合被写体が写るという以上のものがそのプリントに定着されていることが必須であると思う。土門拳がある弟子の写真を見て、画面上の何もない部分を指して「ここが美だな」と言ったのは有名な話である。
森山大道が「アレ、ブレ、ボケ」にその表現の活路を求めたのは、既成概念としての写真に対するアンチテーゼであった筈だが、それらの作品のなんと美しいことか。「美しい写真」の対局として撮られた筈の写真のもつ美しさに衝撃を受けた。
開高健は本当の意味でのノンフィクションは存在しない、どんなものであれ、それが作家の手を経たものである以上、作家の意図が反映されたフィクションとなると言っている。森山大道の写真ではそこに写っているものが標本であっても、犬であっても、新宿の街頭であっても、ブエノスアイレスであっても、ハワイのビーチであっても森山大道を感じさせる。それは「アレ、ブレ、ボケ」という表現の手法だけによるのではなく、如何にその被写体に肉薄するのかというアプローチによるのである。そしてそのアプローチこそが“プロヴォーク(=挑発)”なのだ。
作品展は二部構成となっていて、森山大道の軌跡をたどる「レトロスペクティブ」と最新作「ハワイ」からの展示に分かれていたが、まだまだその活動は途上を思わせる。プロヴォークは続く。

4/01/2008

アーサー・C・クラークに捧ぐ

いささか前のことになるが、2008年3月19日に英国人の作家であり、科学者でもあったアーサー・C・クラーク氏が亡くなった。クラーク氏と言えば、故スタンリー・キューブリック監督の1969年のSF映画「2001年宇宙の旅」の原作者として有名だが、衛星通信技術の提唱者、宇宙技術の解説者としても偉業を残している。

氏は常に先進的なマインドを持ち続けていた。1999年9月のエスクヮイヤ日本版でインタビューを受けており、その中では人工知能の可能性について言及している。「機械が意識を持ちうるか」という命題に対して、「完全に可能だ」と返答している。
「炭素製のマシン(=人間)とシリコン製のマシンに本質的な差はない」というのがその根拠であるが、その実現にはまだまだ時間がかかりそうだ。また人間の意識の生成には、肉体の存在とその成長が多大な影響を与えうるということを鑑みると、人工知能にどのような意識が持ちうるのかということは謎であろう。
また脳のはたらきをシュミレートすることで人工知能を生成するという研究は実際に行われているが、そのアウトプットに意識が含まれるのか、それとも単なる計算結果に過ぎないのか、その分析が困難であることも予想される。
「2001年宇宙の旅」の中で人工知能コンピュータ「HAL9000」へインタビューするシーンがある。その後で同じインタビュアーが、HALと一緒に宇宙探査を行っている宇宙飛行士に対し「HALには意識があると思いますか」という質問をするが、「誰にもわかりません」と答えている。

クラーク氏の偉業はその作品世界がSFというジャンルにありながら、現実世界に影響を及ぼし続けたということに見ることもできる。特に映画「2001年宇宙の旅」はその映像の完成度もあって、未来のビジョンを明確に示したと言えるだろう。クラーク氏なき今、未来のビジョンを示しうる作家は現れるだろうか?

来るべき人工知能の出現を待たねばならないのだろうか。